実質賃金はプラスに転じた、それでも給料据え置きは減給 — 物価高・AI・エンジニア転職の現在地(2026 年 5 月版)

重岡 正 ·  Sat, May 30, 2026

2025 年の終わりに、このブログで「賃上げのニュースとは裏腹に、実質賃金はマイナスが続いている」と書きました。あれから半年。状況は静かに、しかし確実に変わっています。

2026 年に入り、実質賃金は数カ月連続のプラスに転じました。賃金と物価の長い「かけっこ」で、ようやく賃金が一歩前に出たのです。前回の記事で「2026 年には実質賃金がプラスに転じる可能性がある」と書いた予想は、ひとまず当たった形になりました。

ただし、これは「平均の話」です。あなたの給料が据え置きなら、物価が上がった分だけ買えるモノは確実に減っています。つまり据え置きは、いまも実質的な減給です。

この記事では、2026 年 5 月末時点で手に入る政府統計や国内企業への調査をもとに、(1) 賃金と物価の最新データ、(2) AI が雇用に与えはじめた影響、(3) エンジニアの転職市場の現在地、という 3 点を、できるだけ一次情報に近いところから整理します。日本国内のデータに絞って見ていきます。

2026 年春、賃金が物価を上回りはじめた

まず、2026 年 3 月時点の公式データを見てみましょう。賃金は厚生労働省の毎月勤労統計調査、物価は総務省統計局の消費者物価指数(CPI)からの数値です。

指標(2026 年 3 月、前年同月比)数値
名目賃金(現金給与総額、事業所規模 5 人以上)+2.7%(317,254 円)
消費者物価指数(総合)+1.5%
消費者物価指数(生鮮食品を除く総合、コア CPI)+1.8%
消費者物価指数(生鮮食品及びエネルギーを除く総合、コアコア CPI)+2.4%
実質賃金+1.0%

※実質賃金は持家の帰属家賃を除く総合指数で実質化したベース(3 カ月連続のプラス)。国際比較に用いられる総合指数ベースでは +1.3%(4 カ月連続のプラス)です。

ポイントは明確です。名目賃金が 2.7% 増えたのに対し、物価(総合)の上昇は 1.5% にとどまりました。賃金の伸びが物価の伸びを上回ったため、実質賃金がプラスに転じたわけです。

これは 2025 年の状況からの大きな転換です。前回の記事の時点(2025 年 9 月)では、名目賃金 +1.9% に対して物価 +2.9% で、実質賃金は ▲1.4%、9 カ月連続のマイナスでした。当時の「賃金が物価に追いつけない」構図が、半年でひっくり返ったことになります。

ただし、手放しで喜ぶには注意点があります。生鮮食品を除いたコア CPI は +1.8%、変動の大きいエネルギーも除いたコアコア CPI は +2.4% と、いずれも総合指数(+1.5%)より高い水準です。3 月の総合指数は、政府の物価対策やエネルギー価格の動きに押し下げられている面があります。日本銀行が基調的な物価として重視するのはコア CPI のほうで、こちらで見ると賃金(+2.7%)と物価(+1.8%)の差はかなり薄いことがわかります。

それでも「据え置き」は実質減給のまま

ここで本題です。もし 2026 年にあなたの給料が全く上がらなかった(据え置きだった)場合、実質賃金はどうなるでしょうか。計算はシンプルです。

実質賃金の変化率 ≈ 名目賃金の変化率 - 物価上昇率

名目賃金の変化率を 0% として当てはめます。

  • 総合指数(+1.5%)で見ると: 0% - 1.5% = -1.5%
  • コア CPI(+1.8%)で見ると: 0% - 1.8% = -1.8%

つまり、給料が据え置きなら、給料の価値は実質的に 1.5〜1.8% 目減りしていることになります。年収 500 万円の人であれば、年間で約 7.5 万〜9 万円分の購買力を失った計算です。

前回(2025 年 11 月)の試算では据え置きのインパクトが約 3%(年収 500 万円で約 15 万円)でしたから、物価の落ち着きとともに「据え置きの痛み」はおよそ半分に縮みました。とはいえ、依然として減給であることは変わりません。

重要なのは、社会全体の実質賃金をプラスに押し上げているのは、平均で 2.7% という名目賃金の伸びだという点です。据え置きの人は、その 2.7% の恩恵を一切受けていません。マクロの潮目が変わっても、自分の給料が動かなければ、購買力は静かに削られ続けます。

2026 春闘 — 3 年連続 5% 超でも実感が薄いのはなぜか

「春闘では今年も 5% を超える賃上げが実現したのでは?」という疑問が浮かびます。連合(日本労働組合総連合会)の 2026 春季生活闘争の集計を見てみましょう。労働政策研究・研修機構(JILPT)がまとめた第 1 回回答集計(2026 年 3 月 23 日時点)では、次のような結果でした。

区分賃上げ率
全体(定期昇給相当分込み、加重平均)5.26%(前年同時期 5.46% から微減、3 年連続 5% 超)
ベースアップ相当分(賃上げ分が明確な 960 組合)3.85%(集計開始の 2015 年以降で最高水準)
中小組合(300 人未満)5.05%
有期・短時間・契約等の労働者(時給)6.89%

数字だけ見れば力強い結果です。とりわけベースアップ相当分が 3.85% と過去最高水準で、中小組合も 5% 台、非正規にあたる有期・短時間労働者の時給が 6.89% と全体を上回ったことは、賃上げの裾野が広がってきたことを示しています。実質賃金がプラスに転じた背景には、この広がりがあります。

一方で、春闘の 5.26% と、毎月勤労統計の名目賃金 +2.7% との間には依然として大きなギャップがあります。理由は前回と同じです。

  1. 春闘は大企業・組合員が中心: 集計対象は労働組合のある比較的大きな企業が中心で、日本企業の 99% 以上を占める中小企業や、組合に属さない労働者全体に同じ水準が即座に波及するわけではありません。
  2. 賃上げ率には定期昇給が含まれる: 5.26% には、年齢や勤続年数に応じて自動的に上がる定期昇給分が含まれます。給与水準全体を底上げするベースアップ相当分は 3.85% です。
  3. 波及にはタイムラグがある: 毎月勤労統計は全事業所を対象とするため、春闘の成果が統計に表れるまでには時間がかかります。

つまり、華々しい 5% という数字は「組合のある大企業の、定期昇給込みの平均」であって、社会全体の手取りがそのまま 5% 増えるわけではない、ということです。

AI と雇用 — 賃金交渉力は「スキルの中身」で決まる時代へ

賃金の話に、もう一つの構造変化が重なってきました。AI です。

国内企業を対象としたある調査では、回答企業の 9 割超が業務でコーディング用の AI を利用し、8 割を超える企業が「AI 活用によってデプロイ頻度やリリース件数などのアウトプットが増えた」と答えています(回答企業には AI 活用に積極的な企業が多く含まれる点には留意が必要です)。AI は、もはや一部の先進企業の実験ではなく、開発の前提になりつつあります。

この変化が賃金に効いてくる理屈はこうです。AI が定型的な知的作業を肩代わりしはじめると、その作業に対して払われていた賃金プレミアムは縮みます。逆に、AI を使いこなして価値を出す側(判断、設計、AI への的確な指示、業務ドメインの理解など)のスキルには、相対的に高い対価がつきやすくなります。

言い換えれば、これからの賃上げ交渉力は「あなたのスキルが AI を補完するのか、それとも AI と競合するのか」で大きく変わってきます。この影響をもっとも直接に受けるのが、私たちエンジニアです。

エンジニアの転職事情 — 「誰でも昇給転職」の踊り場と二極化

では、肝心のエンジニアの転職市場はどうなっているのでしょうか。ここでも政府統計を見てみます。

厚生労働省の一般職業紹介状況(令和 8 年 3 月分及び令和 7 年度分)によると、2026 年 3 月の有効求人倍率(季節調整値)は 1.18 倍で、前月から 0.01 ポイント低下しました。労働市場全体としては高水準ながら、やや頭打ちの傾向です。

注目すべきは産業別の動きです。3 月の新規求人を前年同月と比べると、情報通信業は 15.8% の減少で、卸売業・小売業(▲6.5%)や宿泊業・飲食サービス業(▲6.4%)を上回る大きな落ち込みでした。長らく採用が活況だった IT・情報通信分野で、新規求人が前年から目立って減っているのです。

この背景には、いくつかの要因が重なっていると考えられます。

  • コロナ禍以降に過熱した IT 採用ブームの正常化
  • 景気や金利をめぐる先行き不透明感
  • AI による定型的な開発・運用の効率化で、「とにかく頭数を増やす」採用が一服したこと

ただし、これは「エンジニアが要らなくなった」という話ではありません。現場の人手不足は、むしろ根強く続いています。

実際、国内で採用を行う企業を対象としたある調査では、直近の時点でエンジニアが「足りている」と答えた企業は 1 割程度にとどまり、9 割近くが人員の不足を感じていました。2026 年度に採用を「増やす」と答えた企業も 4 割を超えており、採用ニーズそのものは依然として旺盛です。

「採りたい、ただし誰でもいいわけではない」

問題は、その中身が以前とは変わってきていることです。同じ調査では、エンジニアの経験レベル別に採用意向が大きく分かれていました。

  • シニア層には 7 割以上の企業が「積極的に採用したい」と回答しています。
  • 一方でジュニアや新卒には、慎重な姿勢を見せる企業が少なくありません。

採用を絞る企業からは、「人を増やすより AI 活用でスケールさせる」「量より質を重視する。一定の経験や知識がないと、社内で AI を使いこなせない」といった声が目立ちました。AI で開発の量をこなせるようになったぶん、企業は「数」よりも「即戦力としての質」へ投資の軸を移しています。これが、経験値による二極化の正体です。

採用のハードルは「AI を使いこなせるか」に移りつつある

選考で見られるポイントも変わってきています。同じ調査では、約 7 割の企業が候補者の「AI 活用度」を合否で重視すると回答しました。コーディングエージェントを使いこなせていないと「マイナス評価」につながる、とする企業が 4 割に達する項目すらあり、AI を前提とした開発スキルは「あれば加点」から「なければ減点」へと変わりつつあります。

ただし、AI に丸投げすればよいわけでもありません。同じ調査では、AI が普及してもコンピューターサイエンスの基礎知識は引き続き重要だと答えた企業が 8 割を超えました。実際、AI が生成したコードを十分に理解しないまま実装が進み、計算量や設計、非機能要件を踏まえたレビューがかみ合わず、かえってレビュー負荷が増すといった問題も報告されています。基礎を持ち、AI の出力を評価・修正できるエンジニアの価値は、むしろ高まっているといえます。なお、採用優先度が高い職種としてはフルスタックエンジニアが突出しており、SRE / インフラエンジニアやエンジニアマネージャーへのニーズも相対的に高まっています。

転職での昇給は「希少性」と「AI を使いこなす力」で決まる

ここまでを整理すると、市場は次のように二極化しています。

  • 広く浅い採用(頭数としての開発要員)は冷えつつある: 情報通信業の新規求人減や、ジュニア・新卒採用への慎重姿勢がこれを映しています。「とりあえず転職すれば年収が上がる」という、ここ数年の追い風はやや弱まっています。
  • 希少なスキルを持つエンジニアへの需要は依然として強い: AI、データ、セキュリティ、アーキテクチャ設計、SRE、特定ドメインへの深い理解など、AI を補完する側のスキルは引き続き不足しており、高い対価がつきます。

つまり、転職による昇給はもはや「相場」ではなく、「希少性」と「AI を使いこなす力」で決まる局面に入っています。物価に負けない昇給を転職で実現したいなら、自分のスキルがどちらの曲線に乗っているか、そして AI を使う側に回れているかを見極めることが、これまで以上に重要になっています。

実質賃金プラスを「自分ごと」にする 3 つの視点

社会全体の実質賃金がプラスに転じても、それを自分の購買力に変えられるかどうかは別の問題です。最後に、個人として取れる視点を 3 つ挙げます。

  1. 自社の賃上げを「コア CPI」と比べる: 総合指数の 1.5% ではなく、生活実感に近いコア CPI(+1.8%)やコアコア CPI(+2.4%)を基準に、自分の賃上げ率を確認しましょう。これを下回るなら、額面が増えていても実質的には減給です。
  2. AI を「奪われる側」ではなく「使いこなす側」に回る: スキルの中身を、AI に代替される定型作業から、AI を前提に価値を出す側へ寄せていく。AI を使いこなす力を、自分のキャリアの地図の中心に据えるとよいでしょう。
  3. 転職は「相場」ではなく「希少性」で考える: 全体の求人が一服しても、希少スキルの市場は別物です。自分の市場価値がどの需要曲線に乗っているかを把握したうえで、昇給交渉や転職に臨むことが、物価に負けないための近道になります。

まとめ

2026 年に入り、賃金と物価の「かけっこ」は、賃金がわずかに前に出ました。9 カ月続いたマイナスを抜け、実質賃金はプラスへ転じています。

ただし「平均がプラス」と「あなたがプラス」は別物です。給料が据え置きなら、依然として年 1.5〜1.8% の実質減給。そして、その「平均」を押し上げているのは、AI を追い風にできる職種やスキルへの需要シフトでもあります。

物価、AI、転職市場という 3 つの流れは、いずれも「どんなスキルが希少か」という一点に収束していきます。政府が公表する一次情報で現在地を正しく確認し、自分のスキルをその地図の上に置いてみる。そこからキャリアの次の一手を考えるのが、物価とも AI とも上手に付き合っていくための出発点になるはずです。

以上、2026 年 5 月末時点での物価高・実質賃金・エンジニアの転職市場を整理した、現場からお送りしました。

参考情報